気になる言葉を辞書で調べてみました

アクセスカウンタ

zoom RSS 中村紀洋が育成選手としての中日入団が決定

<<   作成日時 : 2007/02/25 23:56   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

中村紀洋
野球選手(内野手)。1973年7月24日生まれ、大阪府出身、右投右打。
1994年に101試合に出場し8本塁打を記録。結果がなかなか出ないながらも、当時の鈴木啓示監督が辛抱強く起用し続けた。9月18日の日本ハム戦でサイクルヒットを達成。
1995年に規定打席初到達し20本塁打を放つ。以降2002年まで8年連続で規定打席に到達、1997年を除いて毎年20本塁打以上を記録する。
2000年にシドニーオリンピック、2004年にアテネオリンピックの日本代表に選ばれた。アテネではホームランを放ち銅メダル獲得。
2005年オフにポスティングシステムによりロサンゼルス・ドジャースへ移籍。だが思うような結果を残せず1年でアメリカを去り、オリックス・バファローズへ復帰した。
2006年は怪我に苦しみ打率.232、本塁打12本という不本意な成績に終わる。オフに球団は怪我を公傷と認めず1億円以上の大幅減俸を提示。中村側はこれを不服とし球団ともめにもめた結果、1月12日にオリックス・バファローズを退団する事が決定した。
2007年2月12日に沖縄で中日の入団テストを受けることが決定した。日時は2月15日。そして同月25日、育成選手としての入団が決定した。


育成選手
プロ野球の球団が,育成目的で確保する選手。各球団は支配下選手(最大 70 人)を 65 人以上保有したうえで,ドラフト会議の選外となった選手を二次ドラフトによって指名できる。二軍の公式戦,練習試合への出場資格をもつ。2005 年(平成 17)より実施。


中日
プロ野球チーム。一軍はセ・リーグに所属。中日ドラゴンズ。
リーグ優勝7回(1954,1974,1982,1988,1999,2004,2006)。
日本シリーズ優勝1回(1954)。
1946年リーグ戦再開に伴い、チーム名を中部日本(愛称「中部」)とする。
1947年、当時のオーナーだった中部日本新聞社社長・杉山虎之助の干支である辰の英訳「ドラゴン」から「ドラゴンズ」を愛称とする。
1948年、中日ドラゴンズに改称。
1951年、名古屋新聞・名鉄などの地元企業と共同出資による名古屋ドラゴンズに改称。
1953年、名古屋企業の撤退により、中日ドラゴンズに戻す。


入団
消防団、少年団など、団と名のつく組織にはいること。団員となること。


決定
・はっきりときめること。また、はっきりきまること。「上司の決定を待つ」
・特に申告納税制度をとる国税で、納税義務者からの申告がない場合、税務署長がその調査したところによって課税すること。
・裁判所の行なう裁判のうち、判決の場合よりも、比較的軽い事項について行なわれるもの。原則として口頭弁論を開く必要がなく、これに対する上訴も抗告という形で認められる。



保険って本当に必要?









テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
中村紀洋が育成選手としての中日入団が決定 気になる言葉を辞書で調べてみました/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる