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ジーコ ブラジル出身のサッカー選手、現サッカー指導者である。本名アルトゥール・アントゥネス・コインブラ〔Arthur Antunes Coimbra〕、1953年3月3日生。「Zico」は「やせっぽち」の意味で、より原音に近い表記をすればズィッコとなる。現在でも、ブラジルではペレやF1のセナと並ぶ国民的英雄である。 父親はポルトガル系移民である。元鹿島アントラーズ監督のエドゥーを含む兄2人もサッカー選手だった。 幼少時代は、兄たちに混じってサッカーをすることが多かった。体は小さくやせっぽっちだったにも関わらず、テクニックは群を抜いていて上級生に混じっても簡単に活躍できる才能があった。 入団当初はテクニックは通用するが「やせっぽち」であることが致命的になり、ジーコの肉体改造計画がチームスタッフにより立てられた。その計画により筋トレとホルモン注射などを効率よく行なった。そして、計画は成功して競り合いに負けない強靱な体を手に入れた。その後リオデジャネイロを代表するサッカーチームで、ブラジルリーグの名門、フラメンゴのミッドフィールダーとして活躍し、ホームスタジアムから「マラカナンの英雄」といわれた。また、同じくブラジルサッカー界の英雄であるペレになぞらえ、「白いペレ」とも呼ばれていた。 FIFAワールドカップでは1978年、1982年、1986年の3大会に出場。1982年のスペイン大会ではソクラテス、ファルカン(元日本代表監督)、トニーニョ・セレーゾ(元鹿島監督)とともに「クワトロ・オーメンズ・デ・オーロ(黄金の4人)」を形成。今も「ブラジルサッカー史上最も魅了したチーム」と称えられる。自身はスルーパスとフリーキックを武器に世界中のファンを魅了した。2002年以降自身が監督に就任した日本代表の中盤を称した「黄金の4人」はこのチームが語源。 1990年に一度現役を退き、ブラジルスポーツ省の初代長官に就任したが、1991年に住友金属サッカー部(現・鹿島アントラーズ)に入団。旧2部リーグの弱小チームを日本を代表するサッカークラブに成長させ、Jリーグ初のハットトリック記録など日本のサッカー界を積極的に盛り上げ、鹿島町(現・鹿嶋市)からも表彰される。1994年第1ステージで現役を退き、同チームのテクニカル・アドバイザーとなる。 2002年7月22日にサッカー日本代表チーム監督に就任。 日本代表監督を退任後、2006年7月4日にトルコ・シュペルリガのフェネルバフチェの監督に就任。以前より希望していた欧州クラブの監督ではないものの、UEFAに所属しているリーグの監督となった。 暴露 ・風雨にさらすこと。風雨にさらされること。 ・さらけだすこと。むきだしにすること。 ・特に、悪事や秘密などをあばきだして広く人々に知らせること。秘密にされていた悪事などを明るみに出すこと。「暴露小説」 |
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