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寺内健 日本の飛び込み選手。兵庫県宝塚市出身。甲子園大学卒業、甲子園大学大学院修了。弟の寺内佑も飛び込み選手。1980年8月7日生。 飛び込みの元五輪選手、馬淵良・馬淵かの子夫妻が経営するJSS宝塚スイミングスクールで、生後7ヶ月から水泳を始める。当初は競泳選手を目指していたがタイムが伸びず、隣りのプールに設置されていた飛び板で遊んでいた。それを見た中国出身(1988年に日本に帰化)の馬淵崇英コーチから「上海に飛び込みの合宿に行かないか」と声を掛けられたのがきっかけで飛び込みを始めた。以降コーチと二人三脚で練習を積む。 宝塚市立光が丘中学校2年の時に高飛び込みで日本選手権初優勝。1996年、此花学院高等学校1年(15歳)の時にアトランタオリンピックに出場し、高飛び込みで10位と健闘する。 2000年のシドニーオリンピックでは、高飛び込みで日本人史上最高位の5位入賞、3m飛び板飛び込みでは64年ぶりの入賞となる8位入賞を果たした。 2001年、世界選手権の3m飛び板飛び込みで3位となり、世界選手権飛び込み競技で日本に初のメダルをもたらした。しかし左膝の痛みが限界を超えており、膝蓋靱帯炎と診断され残り2種目を棄権。2002年2月に膝を手術し1年間飛べなくなったが、復帰戦となった日本選手権では自己最高点をマークして優勝。続くワールドGPカナダ大会では、国際大会初優勝を飾った。 2004年のアテネオリンピックで3度目の五輪出場。3m飛び板飛び込みの予選を5位で通過し初のオリンピックでのメダルの期待がかかったが、決勝5本目に失敗して最終的に8位に後退。メダル獲得はならなかった。 2005年、JSS宝塚スイミングスクールに入社。小学生を指導する傍ら、北京オリンピックでのメダルを目指している。 世界水泳 世界水泳選手権(せかいすいえいせんしゅけん)は、国際水泳連盟が主催する水泳の国際大会である。通称“世界水泳”。 水泳界において、夏季オリンピックに次ぐ重要な大会とされる。2〜5年の間で不定期に行われてきたが、ここ最近は夏季オリンピックの前年と翌年にそれぞれ、2年に1度の間隔で開催されている。 本大会は世界最高スイマーが一堂に集う大会であり、特に競泳競技では世界記録がここで更新されることが多い。また、五輪の前年にあたる大会では、五輪に向けた調整の場としても大変重要な大会になる。正式種目として五輪にはない、自由形以外の50m競技も行われる。 飛び込み 飛込競技(とびこみきょうぎ、または単に飛び込み・ダイビングとも)は、水泳競技の一種。弾力性のある1m・3mの飛び込み板より跳ね上がって飛び込む飛び板飛び込みと、5m・7.5m・10mの飛び込み台から飛び込む高飛び込み競技の二種類があり、更にそれぞれに、2人一組で飛び込むシンクロナイズドダイビングが存在する。 飛び板飛び込み 弾力性の高い飛び板がプールにせり出しており、この上で競技者は助走・ハードルステップを経て、または飛び板の先端に立ってその弾力を利用して跳ね上がり、空中で体制を整えた後、水面に突入する。この際、空中で回転したり、ひねりを加えたり、体を丸めてみたりといった、様々な演技を行い、得点を得る。 高飛び込み 弾力のない多くはコンクリート製の飛び込み台から飛び込む競技だが、落下中の回転やひねり、ポーズなどによって得点を得る。 シンクロナイズドダイビング 1998年にオーストラリアのパースで開催された世界選手権で初めて行われ、2000年のシドニーオリンピックからオリンピック正式種目となった。2名1組の選手が同時に演技を行い、その演技の完成度と2名の同調性(シンクロナイズゼーション)により順位を競う。得点の占める割合は演技が40%、同調性が60%で、良い演技をしても2名のタイミングが合っていなければ高い得点を得ることができない。3m飛板飛込と10m高飛込の2つの種目がある。 |
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TBありがとうございます。記事は大変参考になりました。テレ朝ではシンクロばかりで飛び込みはなかなか報じませんね。 |
スプレー日記。 2007/03/22 23:42 |
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